小学生のいじめの構造と思考力4

小学校生活

いよいよ高学年となります。4年生のときにいじめの”種”を持った要因の子供が(小学生のいじめの構造と思考力2小学生のいじめの構造と思考力3を参照)5年生になって、他の子供たちを味方につけてどんどんと勢力を伸ばしていきます。

今回その勢力となっていくその他の子供たちについてまとめていきます。

一部の子からクラス全体にいじめが発展するまで

5年生になると、いじめの”種”を持った要因の子供が、自分の好きではない子や、逆に気になる子をターゲットにして悪口を言うなどの行為を始めます。面と向かってやる場合もあるし、影でのこともあります。
場合にもよりますが、だいたい種を持っている子供はクラスに2,3人います。5年生の1学期のうちは、その周りの子供たちは相槌を打つだけだったりして特に被害がありません。 それがどんどん広がっていくのが夏休み明けからとなります。毎日のように悪口を言われ続けた子供たちは、「xxちゃんはキモイ、うざい」といつのまにか刷り込まれているのです。 周りが言っていることがあたかも自分の考えのように錯覚をするのです。そもそも流される子は”自分で物事をしっかり考えることが出来ない”のです。その子達は言われた内容はあまり考えずにそのまま吸収しているのです。
聞き続けたクラスの7割の子供たちが、「XXちゃんうざいよね。」と話し合い、その子を仲間はずれにしたり、嫌がらせをしたりする行動が始まります。ですが、いじめのターゲットとなった子供は、その中心となっている人が誰なのかわからないのです。「いじめられている」という決定的な事実がないために、確信を持つことが出来ずに親や先生にも伝えづらいのです。それでもしばらくたつと、ターゲットとなった子供もやっと「もしかしてみんなから嫌われているかも」から、「はっきりといじめられている」と気がつきますが、それをなかなかほかの人に伝えることも出来ずにいます。
もしこれを先生に話したとしても、「具体的にどういうことされたんだ?」と聞かれてしまえば、それに対しては「なんとなくみんなが自分のことを避けている気がする、陰口をいわれているような気がする」としか言いようがないのです。
そしていよいよクラス全体にいじめが広がって行くのです。
ターゲットとなった子供はもう少し注意して観察していくと、誰がいやな態度を取るかというのが明確にわかってきます。そしてその中でもとくに嫌がらせをやっている人がわかってきます。ここで一部のターゲットとなった子供はやっと先生や親に相談することが出来ます。うまくいけばそこからそのいじめに関する調査が始まりますが、本人が親や先生に言うことができないケースも多々あります。また、うまく状況を説明できずに先生に取り合ってもらえないこともあります。
他の子供がここで先生に報告しに行って発覚することもあります。 ともあれ、明るみに出ると、そこから先生や親などからの聞き取り調査が始まり事実関係がわかってきます。

聞き取り調査に対しての子供たちの対応

クラスでいじめを仕掛けている人たちはクラスの7割以上が参加しているといっていいでしょう。 (もちろん場合にもよりますが、5年生と言う時期は流される子供が多い)先生が子供たちに事実関係を聞いていきます。そうするとまた面白いことがわかります。
最初に”種”を持っている子供は実際に「無視をしたり、意地悪をしているわけではない。」と話すのです。確かにそれは事実ですね。もともとそのターゲットとなる子供の悪口は言っていたのですが、だからといってその子をみんなでいじめようとリードを取ったわけではないのですし、積極的に無視しているのではないからです。
塾組みの問題行動を起こす子供は特に賢く、しっかりと自分が怒られないような立場に常においていることが多いです。影で隠れてやっている子供も意地悪をすることに関しては学習をしているので、ばれないようにやっています。なので今回の件ではうまく逃げることが出来るのです。
次に”種”のメンバーの悪口を受けて、いつの間になんとなくターゲットに意地悪をしていた人。もともと、どうしてその人をいじめているか明確な理由がないのです。 というのも、先生が聞き取りをしたときに、 「XXちゃんは、○○さんのものをいつも取っているので無視してしまった。」 と言うような話方をします。本人が実際に物を取られたわけでもなく、○○さんのものを取られたのを見たわけでもないのに、あたかも自分がやられたような口ぶりで人の話をするのです。 そして、実際に○○さんにXXちゃんが物を取ったのか聞いてみると、「XXちゃんに貸した消しゴムがなかなか帰ってこなかったことはあるけど、取られたことはない。」という話なのです。
もうひとつのパターンとして、いじめていた子は何も理由がなくてやっていると怒られるので、「XXちゃんが私にぶつかってきた」なんて作り話をする人もいますが、先生に対してつく嘘は、ばれないぎりぎりのラインの嘘になります。 突き詰められると嘘がばれるからです。
もう少し状況が進んでくると、いじめを受けていた子供にとっては、自分をいじめている中心人物はわかってくるので、その子達を呼んで時には親と先生と子供と一緒に話し合いの場合を持ちます。ですが、そこで呼ばれるのは”種”ではなく流されていじめをしてきた子供になります。 呼ばれた子供は、「ほかの子たちがやっていたから自分もやってしまいました、ごめんなさい。」と言うものです。”ほかの子たちがやっていたから”というのはもちろん”種”の子供たちを指していますが、いじめられた子供にとっては自分に対して意地悪をしていない”種”は今回の陰湿な嫌がらせとは直接関係のないものです。実際にいじめられたと認識して、傷をつけられたのは、その流された子達なのです。だから、その子達がいじめの首謀者となるのです。
そしてもうひとつ特徴的なのが、その親がそろって「うちの子供はほかの子供に流されていじめに加担してしまいました、すみませんでした。」 というものです。ほとんどの人がこの答えをします。まれに1人か2人か「どんな理由であれうちの子供がいじめをしたことは事実です。すみません。」といいます。
「どんな事実でさえ」というのはやはり相手に非があると思っているのです。
今回いじめた子供たちは、その他の子供たちが言った悪口が切り口かもしれませんが、無視や陰での嫌がらせをした張本人なのです。

本人もその親も自分がいじめを広めた当事者だと言うことを理解していないし、なぜ自分たちだけ呼ばれなければいけないのかと考えているのです。 というのも子供は家で親に説明するときにあたかも相手の子供が悪いかのような説明をしていきます。ターゲットとなった子供の悪いところを探そうと思えばいくらでも見つけられます。それをネタとして親に言い訳をするのです。完璧な子供はいません。いじめている子供だって、完璧のはずはないですし、逆の立場となった場合は同じようにいじめられる要因はたくさん持っているのです。
自分は周りが意地悪しているところに一緒にいただけ。というような話をします。これは”種”以外の全員が共通して言う言い訳になります。 問題が明るみになって、改めて考えると、いじめた当人が実際にそのターゲットとなる子供と、たいした接点もその子自身についてもほとんど知らない。と言うことに気がつきます。(もちろん気がついた子はマシですが、自己擁護をして終わる人がほとんどです。)
大人は子供が言った嘘をそのまま信じて、またその嘘を自分の子供を擁護するために他のお母さんに話すのです。そうすると、ターゲットとなった子供はお母さん同士の中で「いじめられるて当然よね。」といった人物像が出来上がるのです。

意思を持っていじめをする子と何も考えずにいじめをする子

今回小学6年間通していろいろ見てきましたが、何も考えていない子供がいかに多いのかということに驚かされました。 意思を持っていじめをするのはいけないことですが、何も考えていない子供よりまだ自分で物事を考えているだけ”マシ”なんだと思いました。
この前ママ友から、「(お母さんの)友達が大人になって久しぶりに小学校のときにいじめていた子に会ったのだけど、その事を本人に言ったらまったく覚えていなかったって聞いた。忘れるくらい、いじめている本人はいじめていること自体がたいしたことないと思っているだね。」と話していました。
でも私はそれを聞いて、「忘れているのではなくて、何も考えていないから、いじめをしているという認識さえないのでは?」と思いました。もちろん明るみに出て先生を巻き込んでの大事になった場合は忘れることはないかと思いますが、そうでない場合は何も考えていないから、意識してやっていない分何も覚えていないのだと思います。
学校教育が変わろうとしています。ものを考える思考力への勉強への切り替えです。
ですが、はっきり言って、ほとんどの人が本当の意味でしっかりものを考えていないのです。それは、われわれ大人も同じなのですが…。本当の意味でしっかり自分で考えて自分の行動に責任を持つようになるように子供を育てていく大本となるのは学校ではありません。それは保護者になるのです。(もちろん学校の要素も大きいですが)
そのための子育てのコツはありますので、また別の機会にまとめてみたいと思います。 さて、5年の終わりくらいに明るみに出て問題が解決して終わればいいのですが、もしこのいじめが5年生で決着がつかないと、6年生に持ち越しになります。そしてその場合、問題を改善するのは先生を変えるか、変わらなかった場合は、クラス崩壊への道へと進んでいくのです。崩壊してしまったクラスの建て直しは正直よくわかりませんでした。(実際崩壊したクラスは今も崩壊したままです。)

最後に、【世界の終わり】の「プレゼント」と言う曲があるのですが、その中の歌詞で
「知らない人のことをいつの間にか嫌いといっていたよ」
というフレーズがあります。知らないのに他人の言葉を鵜呑みにしていつの間にかその人を嫌いになっているというのは子供だけにかかわらず、大人にも同じことが言えるのではないでしょうか。

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